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石垣商店でベトナム・ランチ。 [2019 石垣島]

おはようございます、38kicksでございます。
僕はホテルで働いておりまして、しかもかなり特殊な立地にそのホテルはありまして、とにかく、羽田空港を利用する客しか来ないようなホテルなんですね。空港近くのホテルなんて、早朝便か深夜便を利用する人以外が利用するとは思えないのだが、それは人それぞれだろう。しばらく20%とかいう低稼働にあえいでいたが、本日のインは久し振りの50%越えである。今までは昼過ぎには暇になってしまい昼寝とかしていましたが、普通に働くことができるようになってとっても嬉しいです。

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2019年 晩夏 石垣島旅行記 その14

海遊びをすると腹が減る。お師匠と米原あたりでメシを喰うとなると必ず知花食堂になる。少し移動すれば、島では一番麺がうまいと思っている嘉とそばがある。しかし、うちの嫁は八重山そばが好きではないので、基本的にはチャンプルーなどの定食がある店を選ぶことになる。とか言っていたら、この旅の間に八重山そばが好きになってしまったので、次回からは昼メシは八重山そばで攻めることができる。

さてどうするかと思っていたら、昨夜お師匠と呑んだ時にこのあたりに美味しいベトナム料理の店があると言っていたので行ってみることにした。ちなみに、お師匠へのお土産はインスタントのフォーを買っていく。普通に業務スーパーで売っているものなんですけどね。
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石垣商店、コジャレたいかにも南の島ですな感じである。ランチには少し遅い時間だったので観光客の姿はなく、近所のおばちゃん達がゆんたくしていた。僕らが帰る頃に来店した夫婦もこのあたりに住んでいるらしく、しっかりと土地に根付いた店なのだなという印象がした。
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僕は鶏のフォー、嫁は牛のフォーのランチセットにした。このチョイスはどこでも基本的に同じである。嫁が鶏のフォー専門店(ハノイの屋台みたいな店ね)以外で鶏のフォーを頼んだことはないと記憶している。よく頼んでいるのはブンボーフエである。簡単に訳せば牛肉麺で、レモングラスの香りが漂う少し辛いスープにフォーよりも細い丸麺が特徴である。僕はレモングラスが苦手なので、頼んだことはない。タイ料理屋に行くと嫁はトムヤムヌードルを頼む。ベトナムでトムヤムヌードルは食べたことがなく、日本に来てから知ったそうだ。ブンボーフエと似たような系列の味だと僕には感じられる。つまり、トムヤムも僕はあまり好きではない。
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ランチセットについてきた揚げ春巻き。このライスペーパーはなんだろうか。まぁ、島だからね、本場と同じものが普通に手に入る方がおかしいと思えば仕方がないか。
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鶏のフォーは美味しかったですよ。

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米原ビーチは置いといて、夢の話。 [2019 石垣島]

おはようございます、38kicksでございます。
20歳の頃に旅先の長崎県の諫早で買ったアコギを自分で調整してみた。買った当初から弾きにくいギターだと思っていたが、そんなもんだろうと我慢して弾いていたのだ。僕はエレキをメインで弾くのでアコギはほとんど弾かないし。弾きにくいから弾かなかったという説もありますが、とにかく、弦高が高いことが原因(2.5ミリが目安と言われているところ、僕のは4ミリ)だと判明し、調整をプロにお任せすると1万円以上したりするので、ネットで調べて自分でやってみることにした。100均で鉄定規とサンドペーパーを買い、サドルをシコシコと削って調整終了。やればできるじゃん。失敗すると面倒臭いことになるのであまりオススメしませんが。

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2019年 晩夏 石垣島旅行記 その13

米原ビーチでシュノーケリング中の写真で、あまり関係ないことを書いていこうと思っておりますのでお付き合いくださいませ。
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昨夜、やたらとリアルな夢を見た。沖縄の夢だった。石垣島ではなく、本島だろう。まだ、行ったことのない場所だったけれど、なんとなく南城市あたりではないかと思う。

本土から移住した女性の家にお邪魔していた。沖縄ならではの風通しの良い家で、空と海の青が目に優しく輝いていた。彼女は「沖縄に移住してきて本当に良かった」みたいな話をしていた。「今からでも遅くないから、あなたも沖縄で暮らしなさいよ」と。

僕はちょうど30歳くらいの時に沖縄に通い始めた。最初は1人旅だった。バイクを借りて、HYの故郷である東屋慶名を訪ねるのが目的だった。それから毎年のように沖縄に飛んだ。深夜の民謡酒場に行くのが主な目的だった。そこは酔っ払いしか存在しないカオスな空間だった。
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シュノーケリングを覚えてから島旅にシフトしていった。石垣島にたどりつく頃に移住計画が始まった。そのための貯金を始めたのだ。10年くらい貯金を続けて石垣島に移住しようと本気で考えていた。

当然、親には反対された。お師匠は賛成も反対もなく、ニュートラルな感じだった。石垣島に移住するのならばお師匠に色々とお世話してもらおうと考えていたが、お師匠はあえて語ることはなくとも、お師匠を頼りにすることを前提としていては駄目だ、何でも自分でできる準備をしてから移住しなさいという気持ちが伝わってきた。その後、僕は去年の春に手術した腎臓関係で通院することになり、どうにも島の医療関係では不安ややアリの状態になっていた。そして、いつの間にか、一年に一回の石垣島旅行のために仕事を頑張るというスタンスに変わってしまっていた。

時は移ろい、僕は石垣島移住どころかベトナム移住という可能性もある人生を歩んでいるわけだが、もし、そうなるとしたら、思い残すことのないように石垣島に1ケ月くらい滞在したいと嫁にも言ってある。ベトナム移住がないとしても、まだ体が元気いっぱいのうちに、遊び倒してもうお腹いっぱいですみたいな旅をしたいと思っているのだ。実際は2週間で充分だとは思うのだが、とりあえず長めの滞在日数を申告してある。
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そんな思いが夢となったのだろう。やたらとリアルな夢だったので、夢から覚めてもまだ体の周りに沖縄の風がまとわりついているような優しい気持ちに包まれていた。

その女性は以前からの知り合いという設定になっていた。以前、仕事で一緒になった女性のイメージがあるにはあるのだが、しかし、その女性はどう考えても元乃木坂46の生駒ちゃんなのであった。

正夢になることを願うばかりである。

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米原ビーチでシュノーケリング。 [2019 石垣島]

おはようございます、38kicksでございます。
ソネブロに復帰したくせに更新が少ないのには理由がある。以前、休みの日はずっとパソコンにかじりついてブログ用の文章をしたためていたが、今は色々と忙しくてそればかりやっているわけにはいかないのだ。私の趣味はランニングと音楽で、特に音楽の方が厄介なものでして、聴くだけではなく無意味に作詞作曲みたいなことをしている。音楽をやっていると時間を忘れて没頭してしまうので、音楽モードに入るとブログなんてどうでもよくなってしまうのだ。嫁からは例の10万円で新しいギターを買ってもよいというお許しが出た。

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2019年 晩夏 石垣島旅行記 その12

さて、米原ビーチでシュノーケリング開始です。天気があまりよろしくなかったので観光客は少なめでしたね。日本人と中国、韓国からの方が半々くらいですかね。ただ、あっちの人は声が大きいから…。
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米原の特徴として、お魚さんたちが普通に寄ってきます。餌をあげている証拠ですね。写真を撮る側としては嬉しくもあるのですが、寄ってきたとしても大した写真は撮れないし、負け惜しみではなく、馴れ馴れしいお魚さんたちには興醒めしてしまったりもする。僕はばっちりメイクの女性はあまり好きにはなれない人でして、基本的につけまつげをピロピロさせている人を好きになることはない。つけまつげを付ける理由は理解できますけど、別にそこまですることもないじゃんと思ってしまうのですよ。つまり、魚も女性も自然が一番ということです。
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太陽が出ていると海の中がキラキラしていてもっと奇麗なんですけどね。ちなみに、天気がいい日にシュノーケリングをするとふくらはぎが日に焼けるので注意して下さい。最近は僕も水着の下にタイツを履くようになりましたね。上はドライタイプの半袖Tシャツです。長袖の薄いウエットも持っているので、肌寒い時とか風の強い日は着ちゃいますね。
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昔は今のようにラッシュガードを着ている人なんていなかったから、「沖縄だぜ、日焼けするぜ!」みたいなアホな兄ちゃんがいましたね。上半身裸でしばらく炎天下にいたらアウトですから。僕も日焼けはしたいタイプではあるんですけど、ライフジャケットを素肌に着けるとチクチクして痛いので必ずTシャツは着てました。海から上がってから濡れたTシャツを脱いで、体を温めながら少し日に焼く程度ですね。
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少し波があったので、嫁は早めに海から上がって波打ち際でチャプチャプしてました。慣れていないせいもあるみたいで、少し怖かったとのこと。嫁はハノイからバスで半日かかる海沿いの町で生まれ育っている。夏になるとハノイからの観光客が大勢やってくるそうで、花火大会や音楽フェスもあったりするらしい。湘南というよりは九十九里みたいな雰囲気だと僕は思っている。当たり前の話だが、日本語はまったく通じない。いや、泊まったホテルのレストランで話し掛けられたことがあったな。大阪の日本語学校に通っていたという青年だった。ちなみに、僕はそういう日本語が通じない環境でもまったくストレスを感じることがない特異体質である。そもそも、日本で嫁が友達と話していれば同じ状況になるし、慣れと言えば慣れである。

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