SSブログ

人生は楕円形のボールのように。 [旅は風まかせと見せかけて。]

おはようございます、38kicksでございます。

少しは改心してブログの更新をして行こうと思ってはいるのだが、他にやりたいことが多くてブログは後回し気味である。コメントを書いたり、いいねを押しにいったりする時間がない。訳の分からないビジネス本には時間を作ることができる人こそ優秀な人であるみたいなことが書いてあるらしいが、ひとつのことしかできない奴が・・・、いやいや、ひとつのことに集中できる人がそういうことをほざいている・・・、いやいや、仰っているわけで、僕のような煩悩の塊のような人間はセコセコと生きていくしかないのが現実だと思っているわけでありますので、まぁ、なるようにしかならないということですなぁ。

最近は、休日のランニングでハーフを走ったり、よせばいいのに山登りなんかも始めてしまったというか再開してしまったので、予定がぎゅうぎゅうで、そう言えば来年の干支は牛でしたねと、いらないことばかり書いているから余計に時間を喰うわけで、僕は牛肉よりも鶏肉が好きなのですけど、根がケチなので値段が安いから好きになったと思われます。

そんなわけで、去年の話です。ラグビー・ワールドカップを見に大阪に行った話を手短かにしたいと思います。僕はスポーツでは格闘技が好きで、プロレスが好きですとか言うとプロレスはスポーツなんですかと言い返す奴がいて本当に頭が来るのだが、純粋なスポーツという意味ではラグビーが好きである。かと言って生で観戦したことは一度だけで、30年くらい前の日本対NZで、日本はボコボコにされた。ジョン・カーワンがまだ若手の頃だった。つまり、流行語にもなったにわかファンのようでもあるが、一応ちゃんとルールは知っていたので、にわかとは言ってくれるなおっかさんである。

チケットの発売日を知らなかったので気が付いた時にはすっかり出遅れていた。日本戦はすべてソールドアウト、その他の試合でもカテゴリーの高い席しか残っておらず、やたらと高額なので私のような雀の涙程度のお給金しかもらっていないサラリーマンには手が出なかった。しかし、どうやらキャンセル分が再販されるらしいことが分かった。再販後はある程度のチケットが手に入るようになっていたが、日本戦や決勝トーナメントはやはり高額のチケットしか残っていなかった。予選でも首都圏の試合や人気チームの試合は同様だった。早々に日本戦は諦めてアイルランド戦に狙いを絞った。僕はアイルランドが好きなのだ。行ったことはないし、行きたいともあまり思わないが、好きなもんは好きなのだ。20代の終わり頃にアイルランドの音楽に心を奪われた時期があり、世の中にはアイリッシュ・パブという大人の魅惑にまみれた空間で、夜な夜なギネスを呑み、フィッシュ・アンド・チップスを喰っていたことを知り、サッカーの日韓W杯では六本木のロアビル前をアイルランド人サポーターが占拠するという事件に心をときめかせていた。つまり、僕はラグビーのにわかファンではないし、アイルランドのにわかサポーターではないのだ。日本と同じプールに入っていたアイルランドの最も重要な試合は横浜で行われるスットコランド戦で、プール内の開幕第二戦であり、これはプール内の優劣を決める試合、つまりは決勝に進むチームを占う意味でもまさに天王山とも呼べる試合であった。当然、みな考えることは一緒だし、横浜だし、チケットはなかったので、僕は川崎のスポーツ・バーに観戦の予約を入れておいたが、石垣島に台風が来たおかげで帰ることができなくなり島のホテルでの観戦になってしまった。

相変わらず余計なことばかり書いていると先に進みづらいので、とにかく、僕は神戸で行われる対ロシア戦のチケットを取り、嫁と大阪まで行き、僕だけ観戦することにした。
a-IMG_2287.JPG
調布にあるファン・ゾーンにあったマンホール。結局、スポーツバーやファン・ゾーンでの観戦はしなかった。アイルランドのユニフォームを手に入れようと、新宿のオフィシャル・ショップに何度も足を運んだが、入荷するのはXLサイズばかりで僕に合うサイズを買うことはできなかったので、アディダスから発売された応援Tシャツで我慢した。

確か大阪から三ノ宮まで行き、地下鉄に乗り換えたのだが、この地下鉄の車内がアイルランド化していて凄まじい光景だった。日本人よりもふたまわり程でかいアイルランドの老若男女が車内で押しくら饅頭をしていたのだ。それだけでなく、アイルランドではそれが観戦前の当たり前の光景なのだろうが、猛々しい合唱で溢れかえっていた。目に緑。耳に歌。なんだこのクライマックス感は。ラグビー関係者は、今回のワールドカップで、世界のラグビーを取り巻く空気感を味わってほしいと言っていたのを思い出した。これか、このことかと、僕は試合前からすっかりやられていた。

海外の選手が試合後に日本式のお辞儀を観客に向かってすることや、競技場に足を運んだラグビー・ファンがそれぞれの国の国歌を覚えて斉唱する姿や、とても丁寧に対応してくれたボランティアのおじさんおばさんの姿がニュースで流れ、ネットで世界に配信された。とても幸せなワールドカップだったと思う。
a-IMG_2345.JPG
僕は試合が見やすいと思いフィールド横のエリアを選んだ。アイルランドの緑色のサポーターはゴール裏に固まり、相変わらず歌っていた。考えてみれば、サッカーでもゴール裏にサポーターが集まるから同じことか。僕もネットで覚えたアイルランドのアンセムを小声で唄った。試合自体は格下相手のロシアに危なげなく勝つ予想通りの展開で、終盤になるとロシアの選手への声援が目立つようになっていた。こういう応援の仕方がラグビーならではで、世界中に日本のファンがいるのもうなずける。体格で負けてしまう日本チームには絶対に諦めないという信念がある。日本チームに海外の選手が多くなっていても、その精神は受け継がれており、それが日本のオリジナリティにもなっている。自国の代表に選ばれなくなった海外の選手でも、まだ第一線で活躍できる選手は日本のチームで受け入れてくれるし、条件さえ満たせば日本代表に選ばれることも可能だ。ラグビーというスポーツが紳士のスポーツであり、国同士の争いではなく、世界にラグビーの素晴らしさを広めるという目的で代表に選ばれる基準が設けられているらしい。だからと言って、ただラグビーがうまいからラグビー後進国の日本の代表に選ばれて、真の日本の代表選手になれるかというと、それは簡単なことではないということだ。
a-IMG_2347.JPG
僕は余韻に浸りながら大阪に戻り、ついつい道頓堀に飛び込もうかと思ったが、まだお酒を呑む前だったのやめておいたという、そういう話でした。

nice!(9)  コメント(6) 

鎌倉アルプスに行った話。 [山ヤと煙はなんとやら。]

おはようございます、38kicksでございます。

すっかりご無沙汰である。以前は酔っぱらってから意味の分からないことをアップしたり、休みの日はブログの更新が優先順位のかなり上の方にあったのだが、最近はどうにも菅総理の支持率のように右肩下がりである。そもそも、パソコンをいじくる時間が少なくなってしまった。ネットの検索はスマホで出来るし、インスタを始めてしまったこともその一因になっているようだ。

この2年くらいは音楽を作ることに時間を費やすことも多く、余計にパソコンの前に座る時間が減ってしまった。それでも、文章を書くことは好きなので、以前よりは短い時間ではあるが、気が向いた時にしたためていきたいと思っております。椅子に座ると腰が痛くなるという理由もなくはないのか。

音楽に全精力を注いでいたのは20代で、それ以降はギターをさわる機会もめっきり減ってしまっていたのだが、2年前に検査入院をすることになって、結果によっては手術と2週間の入院が必要で、そもそも、結果が出る前から手術することはほぼほぼ決まっていたので、検査入院をする前にそれまで勤めていた会社を辞めてプー太郎になった。すぐに同業種でアルバイトは始めていたし、手術後に正社員になることを前提に入社していたのであまり生活面での不安はなかった。同業種なので仕事の内容はほとんど変わらなかったのだが、拘束時間がおかしいくらいに減った。その頃には休みの前にしかお酒を呑まなくなっていたので、とにかく自由になる時間が有り余っていた。そうすると、やりたいことの最優先項目が音楽になってしまうわけです、僕の場合。音楽をやっているとどうしても若かりし頃のことを思い出してしまったり、テレビでもついつい登山のドキュメンタリーを見てしまったりするので、だんだんと山ヤの血が騒ぎだしてきた。普段からある程度ランニングをしているので体力はある方ではあるが、たまに膝が痛くなるし、僕が山に行っていたのなんていうのは10代の半ばから終わりにかけての短い期間だったので、打ち込んでいたわけではない。

手術後の夏にリハビリも兼ねて少しずつ山に行こうではないかと、とりあえず見た目重視というか、カタチから入るオレとしては、まずサロモンのトレランもできそうなトレッキング・シューズを買うことにした。ゴアテックスなので、雨でも安心である。安心なので山で履くよりも雨の日の通勤で履く機会が増えたのだが、注意しないとやたらと滑るので危険であった。ビブラムソールのくせに雨の日で滑るなと言いたかったが、山で滑らなければ誰にも文句は言わせないという雰囲気に満ち満ちており、下駄箱の常連さんに落ちぶれてしまいそうだったので、とにかく鎌倉アルプスに行くことにした。鎌倉だろうが何だろうがアルプスである。危険と隣り合わせである。

建長寺とかいう寺の境内からコースが始まっていたので、お金を払わなければ鎌倉アルプスには登れない。このあたりは本場アルプスの入山料と同じシステムである。どこぞの神様に旅の安全をお願いしてからコースに入ると、幼稚園の遠足の集団に取り囲まれてしまった。この中に未来のラインホルト・メスナーがいるのだろう。
a-IMG_1797.JPG
コース自体は大したアップダウンもなく、爺さん婆さんの冒険的散歩にちょうどいい感じである。ただし、行ったのが7月のどえらい暑い日だったので、木漏れ日の中を歩くとは言え熱中症に気を付けていただきたいのだが、これを書いている今はすっかり冬に入っているので、しいて言うなら低体温症に気を付けていただきたい。コースの終盤にある茶屋で昼飯にしようと思っていたのだが、少し早めに着いてしまってまだ準備中だった。ネットでは大根を煮たのがうまいとか書いてあり楽しみにしていたら、準備中だったのはこちらのミスとしても、大根を出すのも秋になってからだと言われた。このくそ暑い中で大根を喰う方が間違っているようだった。仕方がないので、コンビニで買っておいたおにぎりを食べて飢えをしのいだ。つまり、これを書いている今は大根を売っているはずなので安心していただきたいのだが、何かの諸事情で売っていなくてもオレは責任は取れないので悪しからずである。

帰りは鶴岡八幡宮に寄って、どこぞの神様に旅の無事を感謝してから、そこいらの蕎麦屋に入った。そんなわけで、鎌倉で蕎麦を喰って帰ったという話でした。

nice!(3)  コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。